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ドラゴン桜 [日ごろのこと]

 ドラゴン桜という漫画を初めて読んだ。東大合格を目指す高校生の物語である。具体的なノウハウ、精神が詰まっていて、興味深い。新聞記者時代、先輩にも後輩にも東大卒者がいたことを思い出す。

 数学の柳先生はベテランで、きわめて印象的である。主人公の女子高生を評して、ああした寂しい目をした子は合格する、何としても合格させてやりたいと言うのは秀逸である。教師として優れているのであろう。

 東大の入試問題は私は見たことがない。しかし漫画で説明される傾向、特に早慶や京大との比較を基にすると、基礎基本を広く理解し、要領よく解答しなければならないらしい。恐らくは1960年代~1970年代の学生運動対策が続いているのだろう。

 東大は学問に対する真摯さ、地道さがある学生が欲しいのであろう。東大は教養でもよく勉強させるそうである。

 東大の入試区分は旧制一高時代から変わらないらしい。例えば工学部と理学部は学問として大きく異なるが、同じ理科1類である。ドラゴン桜でも本人の入学してから勉強する分野については全く無視して、何とか東大に押し込む。

 大学が何を勉強するのかを実質的に指定する。大学院に進むにせよ教授がテーマを指定するのだし、就職活動でも大企業が採用を決める。もちろん本人の意思は尊重されるべきで、希望は尋ねられる。しかしそれを優先するとあからさまに不利益を被る。入社しても会社が本人の職務を決める。学問の都合であり、産業の都合である。

 こうした構造は太平洋戦争敗戦や学生運動でも変らない。日本の本質である。真に豊かな社会とはいえず、未だに開発途上国型である。

 ドラゴン桜を読むと、こうしたことをあれこれ考えてしまう。高校生は開発途上国型の型に自分を入れこまなくてはならない。しかしそれは勉強や進路のことだけだし、短期間のことで通過儀礼的であるから我慢できることであろう。

 東大生になれば文科省から日本で最も教育投資される大学生になるのだし、利用できる機会、施設は日本で最も多いだろう。開発途上国型に身をはめ込みつつ、利用する機会をゲットすると考えればいいのだろう。

 ドラゴン桜にはそうした割り切りを現代の高校生に教えているのではないかと思う。大学に進学しても自分の意思が蔑ろにされる局面がたくさん出てくる。しかし東大に入ればそうした局面はむしろ小さくなる。そこがパラドックスだ。親や教員に偽善を暴いているのが人気の理由なのではないか。
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