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不快なこと [日ごろのこと]

 相当に軽減したものの、職場でパワハラを受けている身である。だから社外では不愉快なことがないようにしてきた。人間関係は良好にし、なるべくフラットにして、また利害関係は争いのないものにしてきた。

 しかし4月初め、不愉快なことが起こった。何だかな…と考え込んでしまった。私の言動が原因かとあれこれ分析してみたがそのようでもない。一方的であり、相手の自分勝手な言動が原因である。恐らく私が良心的すぎたのだろう。

 世の中にはこちらの良心的な態度を利用しようとするずるい輩というのが存在する。彼らにとってうまく利用できればしてやったりなのだろうが、墓穴を掘ることがある。おっかなびっくり利用しようとして、自らの悪念に自信を失い、言動が動揺するのである。上手くいかないだろう。

 金銭や財産を奪われるという利用のされ方ではない。だから余裕がある。騙されたふりをするという対処もいいだろう。放っておくのがいいだろう。墓穴に落ちるのを静観するのである。

 真摯さは学べないとドラッガーは言う。確かにその通りで、技能が下手でも能力が低くても構わないが、真摯さがないことが分かると、本当に信用を失うものである。
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不快なこと その2 [日ごろのこと]

 詳しくは記さないが、くだんの不快なことの相手の1人が、その不快なことを実行するために何と私に図書を借り受けたいという。準備もできていないらしい。自分のことなんだから自分で何とかしろよと指摘して、断ることもできたのだが我慢した。

 私を不愉快にしておいて、それにびくびくしていていい度胸なのだが、形式的には快く貸してやった。利用したことを押し切るくせにそれを実行するために助力を求めるわけである。世の中にはこういうこともあるのだなとあきれてしまった。しかしここで恩を売ろう。 

 この図書は仮に紛失されたとしても、2,000円未満で新刊が再入手できるだろうから、私にとっては何のリスクもない。

 協調性がないというより、今だけ利益だけ俺だけである。後先など考えない。

 利用主義に立つとしても、何ともあさましい。近くにいる人間にあさましいと思われることこそが、きわめて大きなデメリットだと思うのだが、あさましいとそうは思わないものらしい。ずるい上に何だか頭がおかしいのである。

 ふと見ると、何とも悪相をしている。こんな人相で、人を利用するような形にして、成功するのだろうか。恐らくは成功しないだろう。失敗して、悲しんで、そして5月上旬には姿を消すに違いない。
 
 人間にとって真摯さというのは水準がある。上中下に分けると、少なくとも上位ではない。上位ではないというのは真摯でないということだ。中位以下の人間に上位になれと指導するだろうか。

 30歳を過ぎると、もう相手にしないのではないだろうか。邪魔はしないが「自滅してもらい、私自身は少しも恨みを買わない戦略」を取る。大人の戦略である。

 地方都市にいるからなのかもしれないが、あからさまにあさましいと感じられる人間がちらほらいる。恥ずかしいと思わないのだろうか。あさましい人間が多いから、あさましい、愚かさのの競争になるのかもしれない。

 悪い環境のなせるわざなのかもしれない。優れた人間は首都圏など都会や海外に出るから、あさましい人間の割合が高くなるのだろうか。

 何とも嫌な気分になるのだが、放っておいて失敗するのを静観しよう。
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人が離れるのは幸運 [仕事を考える]

 人生には出会いと別れがある。自分の水準が上がるとふさわしくない人たちが離れていく。ふさわしくない人たちは自分の水準が上がらないか、あるいは下がったままなのでつらいのである。だから離れていくのを引き止めてはいけない。水準が合わない。ふさわしくないことが明らかなのはまさに天意である。

 彼らは自分と同じ水準の人たちと集う。人間の質には幾つものもの階層がある。それは仕方がないことである。

 相手の質を上げようとしてはいけない。Dレベルにいるのに、せめてBレベルになろうよと言えるのだろうか。一挙に2段階も上げられるはずがない。

 Dレベルの人たちにはそのままでいて、そのままの場所、そのままの集団にいれば楽なのではないかとアドバイスしてあげよう。
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繰り返し出会う局面 [日ごろのこと]

 私はなぜか伝統ある組織に関わることが多い。人間としての根っこが保守的、常識的だからなのかもしれない。私は伝統ある組織の一員となり、中身があまり機能してないか、相当に腐っていることを気付き、地位が上がらないのに副代表なことを自らやるか、やらざるを得ないことになる。いわばいつも老木に出会い、そして中身が空洞であることを気付き、一方で老木の意義を深く理解し、老木を支えることになるというわけである。

 伝統、ブランドがあるのだがそこにはどんよりした、不活発な雰囲気があり、しかし最低限の衣食住は確保されている。そこに機能と秩序と革新をもたらそうとする。試みが成功することもあれば失敗することもあり、自滅させることもある。

 こうした生き方がいいのか悪いのか、繰り返し訪れるこうした局面に自分でどう評価していいか分からない。

 伝統ある組織に入れるのだから、ベンチャーに入らざるえなかったり、何もないところでいちから何かを作り上げなければならない立場にいるより、よほど恵まれている。そこには機能が相当に低下しているかもしれないがノウハウと経営資源がまだ残っているのである。

 イーストマンコダック社でデジカメを開発した研究者は会社の命令でデジカメの製品化を断念しつつ、同社に居続けたという。フィルム生産でナンバーワンのイーストマンコダック社はデジカメの勃興で消滅したのだが、消滅の原因を作ったのは自社の研究者なのである。イノベーションのジレンマとして経営学の対象となる。イノベーションというのは豊かな経営資源のある所で生まれやすく、それをどう扱うかはマネジメントの問題と言えるだろう。
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善意が仇 [仕事を考える]

 善意が仇になることがあって、きょう呼び出しを受け、強く追及されてしまった。これまでの経緯は書面でまとめ記録も残しておいたので、開示した記録で防戦できたようである。何で記録を開示するんだとまで追求されてしまった。突然降って沸いたような話に備えることができてとてもよかった。がんがん追及してくるのはいいが、その追及で別の損害を被らすのは違法ですよとそれとなく伝えた。

 ミスでないようなミスを強く追及されたのだが、法律的にも金銭的にも問題がなく、そもそも金銭の話ではない。判例も調べ、法律的には問題がなかった。適法の範囲内であった。規則違反でもない。倫理的にも問題ない。

 怠けている人たちが多くて、私だけ突出して参加率が高い。3倍程度である。こんなことになるなら平均程度にやっておけばと後悔してしまった。参加していなければミスもなにも何もない。都合のいいときだけ、勝ち馬に乗れそうなときだけ、人間は張り切るものである。

 黙って頑張っていると権限もないのに傲慢だと言われ(誰もやって来ないのでリーダーシップを取らざるを得ない)、たまに休むといつもと違うじゃないかと文句を言われる。

 何だかなと思ってしまった。しかし何のめぐり合わせなのかこうして嫌な思いをするというのはとても興味深い。煙たいのかもしれない。立場を譲れというのかもいれない。しかし権限も何もないのだから、もともと立場などないのである。追い出したいなら追い出したいと率直に言ってくれればいいだろう。

 善意は悪意に勝てないものである。陥れようとされれば陥れられる。善意もよりけりで、何だか困ってしまった。
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