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大企業の減点主義と、自己実現 [日ごろのこと]

仕事漂流 ― 就職氷河期世代の「働き方」 立ち読みをしていると、母校の卒業生が、インタビューに登場していた。私より、卒業年度は、7年ほど遅い。彼は、大学ではゼミでの活動が楽しく、充実して過ごした。そこで、会社での仕事にやりがいや夢を求めて、総合商社に就職した。しかし、経理業務が退屈で、1年半ばかりで、ベンチャー系に転職したという。そこでは、安定はないが、やりがいがあるという。大企業の減点主義、というもの、人間のいい部分を叩いて壊してしまう、大企業の冷酷さが、どうしても馴染めなかったらしい。
 

 私は、就職活動に苦戦の末、就職したが、同じようなことを感じた。私は、彼より長く、企業に勤めたが、燃え尽きてしまって、その後は何とか生きている。彼が、大企業の減点主義、人間のいい部分を叩いて壊してしまう、と表現していたのに共感した。総合商社では、彼は待遇が良いほか、超長時間労働でもないので、これらは他人がうらやむようなことである。減点主義であっても、暮らしを立てていくには、十分である。

 たとえば彼が、ゼミに熱心でなく、会社での仕事にやりがいや夢を持っていなければ、総合商社の経理の仕事には、不満を感じないだろう(ただし、そのような学生であれば就職活動で総合商社に内定を得られないかもしれない)。もし彼が、卒業と同時に結婚してしまい、入社後直ぐに子どもが何人かが生まれるようであれば、やはりやりがいや夢を、求めないのではないか。ただ安定して金を稼げればいいという状態であれば、何とか耐えられるのではないだろうか。

 私は、マズローやホルナイの言う、自己実現という概念を、若い時に抱くと、日本では紆余曲折しまうのではないか、と考える。母校の卒業生は、経理部門の仕事に就くことが、多い。これは、母校と企業とのつながりが、そういったものだからである。銀行、総合商社、官庁、マスコミなど、いずれに入っても、まず経理部門に配属される。「会社の本籍は、経理」という形で、その後の人生を歩む。母校には、今、法学系や情報系の学科があって、彼らの専攻は必ずしも、経理と関係があるというわけではない。それにもかかわらず、伝統的な大企業は、本籍、経理として、卒業生を育成する。これでは、本人の意思とは、関係がないと感じられるが、企業の実態はそのようなものである。

 大学というものは古臭いものであるが、それでも大企業のほうがさらに古いのである。こうしたギャップについて、若いと飛び出してしまいたくなる。私は、高齢の教授の下で研究をさせていただいたが、それでも社会人になると企業の古さに衝撃を受けて困ってしまったことがある。学問の伝統と、企業の伝統を比べると、後者のほうが保守的であろう。

 若者は、こうした日本の古層というものに、準備が出来ていない。怠け者でもなく、悪い性格でもない、若者が、企業を離れてしまうのは、こうした理由があるだろう。若者は、家庭で仕事を手伝って、アルバイトをやっても、丁稚奉公というものを、経験したことがないのに、社会人になると丁稚奉公のような立場になる。仕事というものは、つらいものであるという人生訓に同意するような青年であっても、丁稚奉公には耐えられない。若者は、自分の頭の中にある現代性と、企業の古層を、どうにか折り合いを付けなければならない。それは、精神的に苦しく、難しいものである。

 
人間は、とりわけ自己実現を図ろうという人間は、目標や目的を持って、成長しようとする。若者は、多額の住宅ローンや、妻や子どもを抱える人間にとって、いちばん都合が良いが、ひどく古臭い環境に、いきなり慣れることが難しい。何というか、若い時から、自己実現を捨てることは、出来ないだろう。私は、若者が最初の就職先を、3年で30%が辞めてしまう原因に、このギャップがあると思う。だとすれば、企業は学生結婚をしているような、生活臭のある学生を、採用すべきなのだが、企業はそのような、自己実現を捨てているような若者は、敬遠して最初から採用しない。

 日本の企業が、改革すべきなのは、若者から嫌われない、企業風土である。若者に過失はなく、年上の世代とも、仲良くやっていく気持ちがある。しかし、若者は、中高年が見慣れた光景に、衝撃を感じてしまう。それは、博物館にしか、飾っていない。


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コメント 1

NO NAME

英語みたいな文章っすね
by NO NAME (2014-07-17 13:43) 

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