SSブログ

暗黒労働 [仕事を考える]

 私が社会に出たころは正社員という概念すらなかった。正社員でなけばアルバイトかパートか嘱託であった。嘱託というのは役所関係だけである。パートというのは被扶養者であることが前提であった。今や正社員というだけで選良ということらしい。

 森永卓郎によると、誰よりも早く出勤して、人の嫌がる仕事をして、上司の命令は絶対服従、残業代は請求せずに誰よりも遅くまで仕事をする。そうすることで地位を守り、路頭に迷うことを防ぐことができるらしい。

 過労で寝込むか、うつ病になりそうである。またそうなったらそうなったで、会社のお荷物になる。退職しろと言われればすぐ退職し、死ねと言われれれば死ぬのだろうか。

 野中郁次郎はSECIモデルを提唱した。高度経済成長下の大企業の職場では、形式知がシステム化されて伝わるだけでなく、暗黙知は信頼のある人間関係で伝えられる。成長する産業で、余裕のある職場では通用する理論である。上記のような泥船での理論ではない。

 暗黒労働で人間が奴隷化すると、人格が低下して社会性が失われそうである。会社の中だけで奴隷になり、会社の外では人間に戻るという器用なことができるのだろうか。家庭で暴君になったり、社会で弱者に食って掛かってしまうような人格が生まれるのではないだろうか。

 暗黒労働には暗黒社会、暗黒家庭があるのではないかということを指摘したい。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

無意識を自覚 [仕事を考える]

 先祖には職業軍人がいて師団で人事もやっていたらしい。だめな上官は戦場で部下に背後から撃ち殺されるという話をしていたらしい。先祖は内勤者であり、戦争終盤、出陣したが幸いにも戦場にたどり着く前に敗戦になったため生き残った。生き残ったらこそ、子孫の私がこの世にいるというわけである。

 馬鹿な大将敵より怖いというから、だめな上官は危険である。戦場ではだめなマネジメントは戦死に直結する。撃ち殺されても仕方がないだろう。死をもってマネジメントに資するしかない。

 私も過労死寸前になったから、だめな上司というのはほとほと嫌になっている。だめな上司というのは会って3秒ぐらいで分かるのではないだろうか。言葉遣いや物腰だけで分かるものである。直ちに退職、退任してほしいものである。ここ以外のどこでもいいからいなくなってくれと思ってしまう。

 中小企業だと、母体数が少ないこともあって全員がこういう管理職や取締役であるといえる。だめな人材と、救いようのない人材の2種類しかない。-と2-である。

 私にとって嫌になって仕方がないような連中である。事実は事実なのだから仕方がない。だめな人間が良くなるわけがない。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

エネルギー [日ごろのこと]

時間とエネルギー
 時間を効果的に使おうとすると、自分自身のエネルギーが関係していることが分かる。エネルギーと時間の両方があれば時間当たりの効果が高いだろう。しかし時間があってもエネルギーが乏しいと、眠り込んでしまうか、ぼうっとして過ごしてしまい、時間当たりの効果は低いだろう。時間がエネルギーを回復させるための時間になってしまうのである。エネルギーのためには時間を使って、心身を鍛える必要がある。毎週、定期的な運動を日課にするとよい。

ラジオの効用
 TVやスマホは時間を奪う。例えばTVの代わりにラジオをつけ、スマホの代わりにPCを使うと、時間の浪費を少なくすることができる。ラジオは作業や運転の傍ら聴くことを前提としているので、TVに比べて聞き取りやすい。また臨時ニュースがあれば割り込んでくれる。TVでは甲高い声のアナウンサーがちらほら出演して聞き取りずらいが、ラジオではこうしたことはほとんどない。

フィットネスクラブ
 戸外が寒くなったので、早朝のジョギングを控えている。退勤後にフィットネスクラブに行くが、支度、行き帰り、着替え、入浴などもセットだから正味2~3時間かかるようである。ジョギングは夕方頑張るより、早朝に短時間やるほうが効果が高い。

 会社近くのフィットネスクラブに変えて、早朝マシンを走ることも検討した。しかし事業主を見ると、地方のベンチャー企業らしい。現在のフィットネスクラブは首都圏の企業が経営している。企業規模が100倍以上異なるだろうし、経営してきた年月の長短も異なるので、同じ価格でもサービスが異なるかもしれない。どうしたものかと思ってしまう。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

有力者になびく人々 [仕事を考える]

 日本社会はタテ型社会と言われ、事業主と労働者、上司と部下といった関係だけでなく、たった1年違いの先輩や後輩など、欧米ではどうでもいいと思われる関係、むしろ逆転してもいいような関係でも細かく上下になっている。そしてだめな組織や集団ほど、こうした上下関係が厳しく、目上が小者や悪者、曲者で固定化されていることも少なくない。

 タテ型社会における失敗例のケーススタディーを探してみると、1950年代の静岡県上野村村八分事件が興味深い。戦時中から続く隣組が村民から国政選挙の入場券を回収して、大規模な替玉投票を行っていた。長年、繰り返し行われていた上、あからさまであった、ある高校生がおかしいと思う一方、役所も選管も警察も頼りにならないので、朝日新聞に内部告発した。公選法違反で大勢が逮捕された。一方、高校生の家族は報復として村八分にされたという。

 タテ社会だから有力者が替玉投票をやらせようとしたら、村民は善悪に関係なくやってしまうだけでなく、不正の実行を正義とまで勘違いしてしまう。あべこべ社会の出来上がりである。

 村民個々人によって善悪の判断の程度、立場の違い、教養の程度などが大きく異なるだろうと思うのだが、全員がやってしまう。中には役人、地方政治家、教員、警官などがいるだろうに、法律や行政などのシステムは機能していない。むしろ有力者はこうしたシステムを活用して、替玉投票をやらせているから、彼らは最右翼にいるのである。

 これは付和雷同ではなく、権力を活用したファシズムである。日本は実はファシズムが生じやすい。タテ型社会の大きな欠陥であると言えよう。

 現在でもファシズムが閉鎖社会におけるいじめ、パワハラ、虐待などの原因になっている。調べてみると、指導したり取調べたり点検したりすべき人たちが長年、組織的に主導していたということが分かるのである。

 暗黒組織、暗黒社会とでも言うべきで、1950年代も現在もあまり変わらない。官庁に内部告発すると、行政指導で内部告発者名を漏らすという事件も続いたが、ファシズムだと思えば奇妙なことでもない。ひょっとしたら官庁が主導して不正をやらせていたかもしれないのである。行政指導が機能しないどころか、みんなグルであったのだ。弁護士に金銭を払って、弁護士を矢面に立たせて匿名で通報したり内部告発したりすべきであろう。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

多死社会 [社会を考える]

 少子高齢化社会の後は人口減少社会、多死社会だという。人口学的には多産多死、少産少死、少産多死という順番で巡るという。日本では江戸時代中後期がちょう少産多死であったらしい。人口減少だったのである。現代日本ではすでに少産多死に差し掛かった。

 江戸時代中後期は幕府がさまざまな改革に乗り出す。海外の外圧も高まる。しかし少産多死社会で人口が減少していく。ついには開国して、技術革新を取り入れるのである。大政奉還により、従来の体制は失われる。

 現代日本は江戸幕府があれこれと改革を施す状況に似ている。当時の江戸幕府の政策は合理的でないとは言えない。しかしあまり効果を上げないのである。

 こうした歴史に学ぶと、自分の現在の状況を客観的に見れるかもしれない。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事