SSブログ

コンフリクト [日ごろのこと]

 私は仕事でも仕事以外でも、グループに入ると、事務局というか、副代表のような仕事をすることがほとんどである。しばらく続けると、実質的な権限を持つ。しかしハラスメントを受けたり、謀られて追い出されたりすることがある。例えば代表者によって手のひらを返されるような扱いは腹立たしい。しかし対応はまちまちで、追い出されまいと争うこともあるし、追い出されたのを機に去ることもある。

 コンフリクトに遭ったのは数えてみると、6,7回あるようだ。原因をあれこれ考えるが、いわゆる男の醜い嫉妬、歪んだ集団力学としか説明のしようがない。しかし冷静に考えると、私自身が追い出されて収入が減ったり、社会的立場が低下したりということはない。むしろ上昇している。あのとき追い出されていない人間、私を追い出した人間は現在どうなっているかと観察してみると、収入以外のメリットもあるだろうが収入は半分や3分の1以下ではないかと思われるケースがある。私を追い出した人間がすぐ後に追い出されていいるケースもある。いわばその場にいても到底出世でできてないのである。一方で、追い出されまいと争ってもほとんど利益がない。

 所属するグループで仕事をやり切ることで、次の成長の場へということなのだろう。男の醜い嫉妬を受けるというのは優位を認められた証拠である。だから次の段階へ移っていいいのである。まさに天意である。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

“カッと来る人間” [日ごろのこと]

 合理的な理由もないのに度を越した怒りを示す人間は付き合いにくい。人の話は聞きたくなのだろう。性格的な欠陥があるのかもしれない。

 4月にコンフリクトが生じたが、私のほうが損失を被ることで収めてしまった。損失といっても金銭でない。私からみると機会の喪失であるが、考えてみると機会を失ったことで、その分時間と金銭の節約になる。

 以前、あまり合理的な理由なく怒鳴られたことが少なくとも2回はあった。事情を話して納得してもらったと思ったら、おかしなところで怒鳴りだしたりされたので困ってしまった。今から考えても、そこでどうしてそのように強い憤りが出てくるのか奇妙である。

 無知や勘違いなどが原因にあるのだろうが、今回は私のほうでも残念なところがあり、仕方がない。ささいな行き違いも許せないのだろう。不寛容なのである。

 私のほうから見ると裏切られたな…と思った。河合隼雄の「大人の友情」を読み返してみたりした。裏切りという章がある。

 私は自分では自分と他人の区別はつけている。人間は立場も知性も経済力も異なる。しかし相手が自分と他人の区別がつくとは限らない。親しくなると同一視という心理学的症状を来すことがあるという。自分と他人の区別がつかなくなる。

 同一視は危険で、自分が考えるように相手が考えないと怒り出すという人もいるのかもしれない。思想や価値観を無理に一致させるなどまっぴらごめんで、異なるほうが自然である。私はそういう意味では自由主義者である。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

複数戦略で良かった [仕事を考える]

 ある研究者が研究テーマを3つぐらいあると、あるテーマが行き詰っても別のテーマは順調なことがあって精神的に保険になるというようなことを記していた。いわばポートフォリオを組むのである。

 私も今回、コンフリクトが生じたが、このこと以外ではむしろ順調であり、決して行き詰ってはいない。何か1つに集中して時間や金銭を投入しているのではない。だから少し落ち込んだが、それが続くということはない。

 相手からすると、いい加減なようで、あるいは信頼していないようであるが、手を抜いていたわけでもない。また実際、それにだけ投入すべきものでなかったのだから、ポートフォリオを組んで良かったなとしみじみ思ってしまう。いい加減の効用というべきか。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

理想の.... [日ごろのこと]

 人間は理想を抱き、立場によって理想の医師、理想の教師、理想の社長、理想の夫、理想の...というものを目指そうということがある。しかし故河合隼雄によると、完全な善、完全な強さは裏切りを誘発するらしい。英雄は戦闘ではなく裏切りによって倒れるという。

 私も今回、理想の...を目指し過ぎたのかもしれない。思わぬ形で裏切られた。裏切った人たちのあさましさを嘆く。しかし冷静に考えてみると、金銭や名誉を失ったわけでなく、ましてや心身を害されたわけでもない。

 他人から見ると、マイナーな分野での、あまり重要に見えない、職業とば別の出来事である。理想の...を目指すことによって生じる自然現象だとすれば、まあこの程度の話で良かったと思ってしまう。

 これに懲りて別の理想の...を目指さないのは何となく寂しい。やはり目標は大きく描いて、理想の...は目指すべきなのだろうが、一方でこうして思わぬ形の裏切りに遭うという覚悟も、またそれが発生したときのエスケープルートも準備しておくことが必要なのだろう。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

去る、去られる [日ごろのこと]

 詳しく記さないが“定期的な運動”のグループから追い出されるようなことになってしまった。運動というのはもちろんexcerciseのことである。

 追い出すには理由が正当でなく、理由とするには社会通念に反し、理不尽であった。法的にも問題なく、仮に規則があるのかもしれないがその規則が示されなかった。怒鳴りだされた。しかしいちおう反論した。証拠も提示した。反論は効果がなかった。理由はどうあれ、追い出すことを決めているのだから結果を甘受するしかない。

 追い出されたといっても、月謝を支払っているのだから、メンバーフィーが受領されず、またサービスが利用できないということにすぎない。いわば消費者的な立場にいる。

 別のことで思い返すと、10年以上前、excerciseではないボランティア的グループに参加していた。あるメンバーが突然、何度か怒鳴り出すので、怒鳴り声を聞くのが嫌で逃げ出したことがある。代表者に少なくとも2回は慰留されたのだが、代表者がこいつにやらせているのではないかと疑ってしまい、とうとう参加しなくなった。このときもメンバーフィーを支払っていた。

 組織のカルチャーが変化するとき、そぐわないメンバーは不要になる。カルチャーが進歩すればいいのだが、退歩することがある。私は進歩させたかどうかわからないが、少なくとも努力しており、参加率もほとんど1番で頑張ったのにな…と虚しくなる。進歩させようとしないとき、むしろ退歩させようとしているとき、自分の努力の方向と集団の方向が逆さになる。

 私の努力はもはや必要ないとされたのだろう。もう私がやる必要はないとされたのである。こうなると天意である。

 ボランティア的グループを辞めた後、私は個人としての生活はずっと良くなった。複数の資格も取れた。あのまま居続けるとこうしたこともなかっただろう。一方、ボランティア的グループは分裂した。訴訟も生じたらしい。しかしそのときは預かり知らぬ立場であった。

 今回もかなり似ている。冷静に考えてみると、メンバーの平均参加率は20%で、私は原則としてこれまで休まなかった。相当に努力していた。

 追い出されるのは互いの水準が合わなくなったというだけであり、悲しむべきことではない。今後何か隠れていた原因でトラブルが発生して、私が巻き込まれないために天意が働いているのかもしれない。

 私が感じるには何か、excerciseのグループだから、死傷事故が発生するのかもしれない。仲間はかつて骨折して入院した。代表者の方針でスポーツ団体保険に加入していないから、訴訟になりかねない。こうしたリスクについて代表者は耳を貸さない。参加率が低いのに思いついたように飛び入りして、無茶をする者が多い。

 仮に死傷事故が発生し、巻き込まれて、例えば私個人として安全配慮義務違反を問われたら大変である。代表者は私に責任を押し付けるかもしれない。そんなことになる前に追い出されたほうがよほどましである。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事