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失恋と生き方 [日ごろのこと]

 社会的に尊敬を集めているような人物が、文章や著書で、失恋の思い出を書き連ねているのを読むと、失望する。なぜなら、その人物はたいてい男性で、子どもがいる既婚者だからだ。長年連れ添った妻が、夫の、失恋、得恋の思い出を書いた箇所を、どのような思いで読むのであろうかと心配になる。ところが、私自身は著名人ではないし、また既婚者でもないから、私的なブログに、失恋について書いても構わないと判断される。

 私は、人並みに失恋の経験がある。女性にデートを申し込んで断られたり、デートは1度か数度実現したが、交際自体を断られたりしたことがある。それについては記憶として(ああ、そんなこともあったな)との記憶であって、つらい思い出ではない。試みて失敗しただけであるから、むしろ潔く、さわやかである。ところが、ある程度交際が続くと、それはつらい思い出である。正式な失恋、あるいは交際が続いたが結婚に至らなかった失恋と、分類できる。

 いつだったか、ジャズ喫茶のマスターの奥様に、(男女では、女性のほうが愛情がずっと強い)とのことを教わったことがある。私は女性の方面については、理解が深いとはいえないから、当時は(そんなものかな)と思った。ところが、自分の経験を検討すると、その言葉は真実で、女性の愛情というのは男性の側と比較してずっと強いものであることが分かる。女性は産む性ということが関係している。

 交際が続くと、女性が次第に美しくなる。また、不思議だったのは、女性は相手の体調や考え、感情を推し量る能力が優れていることだ。男性は疲れきっていたり、困惑していたりしても、(疲れていない)(困ってない)と自分に言い聞かせていることが多い。そのために無理をして、事態を悪化させることがある。ところが、女性はそういう点を男性によく気付かせてくれる。どちかというと、内気な女性は洞察力が、強いようだ。男性の側では、このような女性の洞察力を受け入れると、協力して一緒に生きていくうえで助かるだろう。

 失恋というのは○(マル)と考えるといいそうだ。失恋したことは(良い人に出会えた)と考えると、得恋の道が開けるそうだ。失恋が1度なら「○イチ」、2度であれば「○二」という具合に。

 新たに付き合い出した女性に過去の女性について問われたら、(申し込んだが見事に振られたことが何度かあって、当時自分は大いに反省した。今回新たに交際を受け入れてもらって、私としては誠にありがたい)と答えて、ごまかしつつ自分のアピールをするのが得策だ。やはり過去の女性というのはすっかり忘れるか、あるいは忘れたふりをするのが現在の交際や、自分の将来のためになるのである。


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