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価値と価格が反比例 [仕事を考える]

 何かで効果を上げようとして、提示された材やサービスの価格が余りにも高過ぎ、手が届かない事態が生じることがある。しかし衣食住に関わる不可欠なものが欠けるというのでなければあまりがっかりするべきでない。 
 
 肥満解消のため、フィットネスクラブの価格が高過ぎれば申し込みを躊躇するだろう。そうした時、躊躇したまま、申し込まないのが正解である。これまで私は肥満解消のため、フィットネスクラブに申し込もうと何度か検討したが、結局利用しないまま、別の方法で定期的に運動して、節食もして肥満を解消した。費用としてはフィットネスクラブの半分以下で、効果としては数倍であろう。

 価格というのは不思議なもので、購買層に合わせたものになっている。例えば新興の高級住宅街にあるスーパーでの果物は高い。ところが同じ果物が古くからの下町で、安く売られている。購買層によって価格は変わっていく。

 もし高い価格を提示されるとしたら、ひょっとすると購買力があるか、あるいは騙されやすいかと思われているのかもしれない。本多静六が富豪になってもドイツ留学生時代の粗衣・詰襟を貫いたというのは興味深い。衣服なんかにかまけず、仕事に集中したのだろうが、周囲に富豪と悟られない工夫でもあっただろう。

 高価格なものが必ずしもその価格なりの、素晴らしい効果を挙げるということではない。容易に人を近づけないため、高価格であるというケースもあるらしい。高価格の前ではまず立ち止まるべしである。

 この土曜日も高過ぎるな…と思う価格を提示された。ある専門家が私の感覚に比べ10~20倍の価格を提示してきた。私に断らせるため、故意に高価格を設定したのかとも疑ったが、電話で尋ねてみるとそうでもないらしい。サービスの品質があまり良くない、むしろ私が大幅に手直しする必要があるほど悪いのに価格が非常に高い。私は10分ほど考えて、断ってしまった。恐らく私にとって別の方法が存在するのである。

 勤倹節約、蓄財ということを意識すると、こうした高過ぎる材やサービスに遭遇することがある。金がなければ相手の顧客にすらならず、自分にとっては検討の対象にもならないが、勤倹節約が進み、払えないこともないぐらいになれば今度は判断に迷うものである。

 そうした時、金がなかった時、例えば私ならば引きこもりからようやくコンビニエンスストアのアルバイトになったころの、苦しかった時期を思い返し、心技体を働かせて工夫と努力で乗り切れないか反省してみるといいようだ。当時より今のほうが遥かに健康で、金以外のものもいろいろと取り組めるのだから。
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