SSブログ

試し行動といじめ [会計学学習]

 試し行動というのは相手があまり信じられず、相手の人間性、信頼性、愛情などを確認するため、相手の嫌なことを繰り返すという言動である。形式的に見ると、嫌なことをする、いたずら、指導に従わない、秩序を乱す、遊んでしまう、怠けるという行動である。低学年の子どもに多く、発達障害児は強い。

 一方、小中高はいじめが流行している。被害者にとってはなぜいじめが発生するのか、理解に苦しむところである。私も中学生当時、随分と考えこんでしまったことがある。被害者が悪いわけではなく、被害者はむしろ我慢強くて優秀なこともあるから、どうしてだろうと思ってしまう。いじめと試し行動には関係がないのだろうか。

 いじめというのは執拗で、いじめている側はまるで自分の権利かのようにふるまう。大人が調査して、止めるように叱っても、再開してしまう。罪悪感が乏しいのである。しかしこれを試し行動と考えてみると説明がつく。

 私は「定期的な運動」で指導者の助手をしているが、小学校低学年の試し行動が強いことがある。指導に従わない、遊んじゃうなどである。試し行動を観察してみると、なかなか執拗である。怒鳴りつけるわけにはいかない。あれこれ考えて、私は練習の前に相撲をたくさん取ることにした。相撲などいちばん単純な運動で、つまらないかと思ったが、ずいぶんやってみると、それで試し行動が減るのである。身体が触れ合うことで、信頼感が強くなるのかもしれない。

 いじめが試し行動だとすると、いじめが執拗なのは本質が試し行動だからである。そしていじめられている人間はいわば小さな大人として、試し行動に遭っているのだ。だから年齢に比べて、我慢強く優れた子どもが同級生や先輩の被害に遭いやすい。本当は試し行動の対象は両親や教員や先輩とするのが自然なのだが恐らくは彼らが信頼に足る人間ではなかったという経験があるからこそ、小さな大人である同級生や後輩がターゲットになるのだろう。比較的貧しい家庭出身の生徒たちがいじめの加害者に多いという実感だったが、貧しいだけでなく裏切られ体験も多いのだろう。

 我慢強く優秀な子どもにとってはたまったものではない。被害者は先輩や同級生などの大勢の「親」ではない。しっかりしていない親、教員がそろっている環境下で、試し行動をしたい子どもが大量に発生したところへ、我慢強くて優秀な子どもが投入されると、執拗ないじめに遭う。いわば大人の役割を強いられるというわけである。

 大人が大人の役割を果たしていない環境では試し行動をする子どもが集団で発生する。そして試し行動が大人に向けられないと、力学的関係性を使い、逆らえない、逆らわない人間に試し行動を始めてしまう。心が満たされないから、何度も何度も、死ぬまでやるのだ。そして相手が死んでも、まるで自分が被害に遭ったかのように思う。本能の行動だから、説得や禁止の効果が効きにくい。 

 

 

 

 

 

 いじめが発生しない条件というのがあり、例えば大学ではほとんど発生しない。単位ごとに講義に集合する人間が異なるからだろう。人間関係の制限が低い。サークルや体育会などは参加するのも自由だし、退会するのも自由だろう。だから私は中学生当時、早く大学生になりたいと思ったものである。

 いじめの原因をあれこれ考えると、ひょっとするといじめは試し行動と関係があるかもしれないと思ってしまう。「定期的な運動」では指導者の助手をして、小学生を相手にすることがある。低学年だと試し行動が発生することがある。指導にわざと従わなかったり、遊んだりしてしまう。発達障害児だとこれが大きくなるようで、ほとんど進歩がない。冷静で我慢強い大人が試し行動に遭う。小学生も相手を選んでいる。

 大人に試し行動があるかというと、試し行動があるようだ。相手も場面もよく選んでいる。傍からみて何だか幼稚だな、見苦しいなと思ってしまう。観察してみると、冷静で我慢強い人物、逆らえない関係性などを利用する。背景には人間不信があり、よくよく調べてみると、裏切られたというショックな出来事があるようだ。もっとも誰にでも試し行動をすると、嫌な奴、変な奴ということで相手にされなくなってしまう。だから経営者から従業員へ、先輩から後輩へというような関係性を利用するようである。

 表面的には虐待の連鎖ということで片付けられる。しかし本質を見ると、何か裏切られた経験があり、人間不信になってしまった。そこで試し行動がしたい、自分が嫌なことをして相手の愛情や人間性を試したいという言動をする。しかし誰にでもやっていると、社会性が失われるから、力学的関係で許容される条件で試し行動をするのである。

 小学生の試し行動はしつこい。だから私は「定期的な運動」の前に相撲を取ることにした。何とも単純なことで、こんなことはつまらないだろうと思うのだが、何度も相撲を取ることでいくらか満足するようである。男親など、毎日相撲を取ってやればいいのにと思ってしまう。身体が触れる遊びを通じて、信頼関係が醸成され、試し行動が少なくなってくるのだろう。

 

 

 

 
 

 

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。