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「水清ければ魚住まず」 [仕事を考える]

 表題は,新人のときにある警察署の副署長から言われた言葉である。警察幹部といえども人間の好き嫌いがあるから,ちゃんと人間関係を結んでから取材をするように,その際,正しいことを言っては駄目だということである。「弁護士ですら,資格を持って2年間も研修するのに(ましてはキミは何の資格もない新聞記者に過ぎないではないか)」とも言われた。

 当時は意味が分からなかったが,2年ほど経つと,警察に「出張の土産」と称して茶菓子を届けるようなことがあった。リンゴの詰め合わせを県警本部に贈ったこともあった。すると非常に喜ばれ,いろいろな取材が上手くいった。社内でも評価された。はっきり言って不愉快だったが,4000,5000円程度の茶菓子でいろいろな取材がうまくいくなら安いものだろう。処世術というべきか。

 憲法が定める報道の自由(憲法には「報道の自由」という言葉は書かれておらず,「出版の自由」と書かれているのだが)から導き出されるのは,たとえば記事を理由に警察が記者を拘束してはいけないということである。一方で,警察幹部が意地悪をして嫌いな記者の取材を受けないということは一向に構わない。

 警察の不祥事については,わずかだが,それも小さい話だが,何度かビシッと書いてやったことがあった。ある老記者から「不祥事を書いたときは翌朝,必ず相手のところへ行かなければならない」とアドバイスされた。それにしたがって,私は警察幹部に罵倒されに行った。政治家に罵倒されたこともある。

 普段はズルく立ち回り,時々はビシっと書いて,罵倒されるというのが本来の新聞記者の仕事だろう。貴重な経験だと言える。癒着関係と緊張関係の間を上手く揺れ動くのである(良識的な立場からみるとそれは全体として癒着関係だろうが)。私はそういう仕事に強いストレスを感じた。そもそも,同僚や先輩がその種の仕事をちゃんとしているのかどうか,非常に疑問もある。上司などは部下に語るべき仕事の実績などなかった。酔っ払って,部下に八つ当たりで怒鳴り散らしたり,明らかな誤報記事で訴えられたという経験があるだけのような人もいた。

 ちなみに警察幹部が弁護士を毛嫌いするのは,弁護士が刑事被告人を弁護するのに,公判で手続きの不備ばかり突いて来るからなのだという。警察は刑事訴訟法をあまり守らない。確かに事実を争うより,手続きの有効性を争うのはつまらない仕事だといえる。ただし,刑事訴訟法を守らないのは,守らない方が悪いのではないだろうか。

 水清ければ魚住まず,という内容のことを中学生のときにある教師に言われたことがあった。その教師は情けない男で,給食に納豆が出ると必ず,職員用の下駄箱に入れた靴に納豆が入れられるのだという。生徒の不良どもの集団に納豆を入れられるのである。私は不良どもに脅されていた同級生をかばってその不良どもと大きな争いになった。1対30,1対200ぐらいの規模である。その争いの最中に,担任でもないその教師に呼び出されて,「キミは堅物過ぎると言われないか」と非難されたのである。すなわち,不良どもに屈服せよというのである。私はその後,不良どもの攻勢に圧倒されて,数か月の間,中学校に通えなくなった。その後,通えるようになってからは,体力をつけるために新聞配達をした。その教師の家にも配達をしていた。何度その家のドアを蹴っ飛ばそうと思ったか分からない。不良どもに異議申し立てする生徒を非難するより,自分の靴に納豆を入れる不良どもを非難してはどうか。まず自分の納豆問題を解決してはどうか。私はそう言いたかったが中学生だから何も言えなかった。

 私は進級を危ぶまれるほど長期欠席をしたが,首席の成績で中学校を卒業して,地元の進学校に3番の成績で入学した。中学校では部活動ができなかったが,少林寺拳法の2級をもらった。学校側が内申書で妨害しようとも,必ず合格できる成績を上げた。なお,その情けない教師は教師の間では評判がよく,保護者からも「よく指導してくれる」先生であった(ロクでもないガキを持つ保護者からみると,自分の子どものことをよく見てくれる先生だろう。納豆を通じた師弟関係で,ホホエマシイ限りである)。ちなみに,大学生になってからは,家庭教師のアルバイトで,私と同じような立場になって,教師から見放された登校拒否中の中学生を教えて,中学校に復帰させて,公立高校に合格させた。その中学生は柔道を始めた。

 「水清ければ魚住まず」などという言葉には,私にはどうも腹立たしい響きがある。


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