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他者に対する操作性 [仕事を考える]

 都合の悪い事実に直面したとき、勇気のない人間は嘘を作り上げて信じ込んだり、横から他者にすっと吹き込まれた嘘を信じ込んで、心身の平静を得る。こうした嘘は心身の平静を保つための目くらましである。嘘に価値があると勘違いし、積極的に金銭を支払うこともある。強いストレスから心身を守ることができる一方、重要なことであれば問題解決の先送りになり、大変なことになる。嘘を信じ込みたいというニーズは現実対処の不足とも言える。

 カルトは嘘が大好きな人間の性質を利用したもので、カルト組織経営者というのはこうした人間の性質をうまく利用していると言えるだろう。カルトは人間心理、群集心理をうまく利用した手法が複数組み合わさっている。そうした組織や閉鎖空間の中に入ると、なかなか抜け出せず、最後は官憲との戦闘や、集団自決まで求められることがある。

 社会にはサラリーマンにも自営業者にも若者にも、こうしたカルト手法を身に着けている人たちがいる。なんとなく宗教っぽい人である。「俺は宗教法人だから」などと自嘲している者さえいる。他者に対して操作的なのである。マインドコントローラーとも言える。こうした人たちでない人たちもマインドコントローラーになれる要素があり、他者を操作しようと思えば操作できるのだろう。親分子分、子弟関係なども半ばこうした操作性を基盤にしていることもある。

 トレーニングなのか、あるいは生い立ちや貧しさなどの苦しい経験から生じるものなか、環境なのか、人間は他者に対して操作するという能力があるようである。

 営業マンは顧客に対して、経営者は労働者に対して、こうした操作性があるだろう。ブランド、国家、広告宣伝なども操作性があるだろう。人間は他者を操作できるし、また操作されやすい存在でもある。

 操作に服さない人は変人扱いされる。本人が操作の問屋なのか、あるいは操作に服さないことを決めているのかのかどちらかであろう。もっとも経営者になるには操作に服するようではいけない。
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