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簿記2級を学習 [会計学学習]

 11月の合格を目指し、週末、簿記2級のクラスを受けている。MBAでよく分からなかった勘定科目が分かるようになってきた。

 6月に簿記3級も何とか合格して良かったと思った。簿記3級は高校生がやるものと印象を持っていたが、勉強してみると半年ぐらい掛かり、そんなに簡単な試験ではなかった。どんなものも始めは難しいものである。しかし視界が開けてきて良かった。

 振り返って見ると2月に始まった簿記3級のクラスでははじめ4人の受講生であったが、最後は私1人となった。ひょっとすると合格者は私1人だったかもしれない。簿記2級のクラスは3人の受講生であるが、現在どうやら2人となったらしい。担当教員は熱心で、授業も非常に分かりやすく、何となくもったいないような気がする。地方都市だと、受講生も少なくこのようなものなのかもしれない。勉強熱心な者は限られてくるものである。

 簿記の学習は手順が決まっていて、勉強しやすい。
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パワハラと人生 [仕事を考える]

 パワハラを受けていると、こんなはずではなかったと思ってしまう。上司の裏切りに腹立たしくなる。人生を遡って後悔し、やはり新卒時、新聞社に入社したのが間違いだった、地味なメーカーでも地方公務員でも良かったのにと思ってしまう。しかし当時、判断が最善と思ったのだから、間違っていても仕方がないだろう。最大の間違いは過労死したり、自殺したりすることなのだが、やはり死ななくて良かった、家族に心配をかけたが最悪ではなかったのだろうと自分を慰めるほかない。心身の健康がいちばんである。

 自暴自棄になったり、死を選んだりすることはいけない。窮地に追い込まれたときは冷静になることだ。以前私はクラスメートを助けたことにより、ひどいいじめにあって不登校になったが、それでも何となく笑っちゃうような瞬間があった。完全に闇ということはないのである。

 窮地に追い込まれると、知性が発達するものである。私は地方でいちばんの進学校に3位で合格したが、このときの不幸によって勉強したからだろう。

 現在もパワハラに追い込まれたが、MBA修了、簿記3級である。そしてここでは記さないが、ちょっとおおと思われる資格も取った。都合3~4の資格である。パワハラに遭わなければ取得しなかったかもしれないのである。
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宗教的存在としての人間 [社会を考える]

 人間はそもそも宗教的存在と言えよう。人類にとって宗教を信じているのは自然である。こうして言い切ると、無宗教者に反発を食うかもしれない。しかし人類の長い歴史を考えると、時代を超えて続いた信念は信仰であり、そして時代を超えて続いた組織は宗教組織である。

 そう考えると、現代、カルト宗教が強い影響を持つことがよく分かる。無宗教者のところへ、カルト宗教がやってきて信仰を与え、金銭も巻き上げる。無宗教者には免疫がないのかもしれない。予防策としてはカルトでない宗教を信仰することであろう。

  宗教というのは人生の矛盾を説明する理とも言える。苦しいとき、神仏の言葉を聞きたくなるのは自然なことである。

 祖先を考えてみよう。宗教に熱心な者はいなかっただろうか。私自身を考えると、神道系、仏教系のどちらの祖先もいる。遺伝子を考えると、私自身が神仏を信仰するのはそんなに不思議なことではない。

 宗教に金銭や時間を費消するということはないが、有害でない宗教を信仰することによって、カルトを避けることができるかもしれない。
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試し行動といじめ [会計学学習]

 試し行動というのは相手があまり信じられず、相手の人間性、信頼性、愛情などを確認するため、相手の嫌なことを繰り返すという言動である。形式的に見ると、嫌なことをする、いたずら、指導に従わない、秩序を乱す、遊んでしまう、怠けるという行動である。低学年の子どもに多く、発達障害児は強い。

 一方、小中高はいじめが流行している。被害者にとってはなぜいじめが発生するのか、理解に苦しむところである。私も中学生当時、随分と考えこんでしまったことがある。被害者が悪いわけではなく、被害者はむしろ我慢強くて優秀なこともあるから、どうしてだろうと思ってしまう。いじめと試し行動には関係がないのだろうか。

 いじめというのは執拗で、いじめている側はまるで自分の権利かのようにふるまう。大人が調査して、止めるように叱っても、再開してしまう。罪悪感が乏しいのである。しかしこれを試し行動と考えてみると説明がつく。

 私は「定期的な運動」で指導者の助手をしているが、小学校低学年の試し行動が強いことがある。指導に従わない、遊んじゃうなどである。試し行動を観察してみると、なかなか執拗である。怒鳴りつけるわけにはいかない。あれこれ考えて、私は練習の前に相撲をたくさん取ることにした。相撲などいちばん単純な運動で、つまらないかと思ったが、ずいぶんやってみると、それで試し行動が減るのである。身体が触れ合うことで、信頼感が強くなるのかもしれない。

 いじめが試し行動だとすると、いじめが執拗なのは本質が試し行動だからである。そしていじめられている人間はいわば小さな大人として、試し行動に遭っているのだ。だから年齢に比べて、我慢強く優れた子どもが同級生や先輩の被害に遭いやすい。本当は試し行動の対象は両親や教員や先輩とするのが自然なのだが恐らくは彼らが信頼に足る人間ではなかったという経験があるからこそ、小さな大人である同級生や後輩がターゲットになるのだろう。比較的貧しい家庭出身の生徒たちがいじめの加害者に多いという実感だったが、貧しいだけでなく裏切られ体験も多いのだろう。

 我慢強く優秀な子どもにとってはたまったものではない。被害者は先輩や同級生などの大勢の「親」ではない。しっかりしていない親、教員がそろっている環境下で、試し行動をしたい子どもが大量に発生したところへ、我慢強くて優秀な子どもが投入されると、執拗ないじめに遭う。いわば大人の役割を強いられるというわけである。

 大人が大人の役割を果たしていない環境では試し行動をする子どもが集団で発生する。そして試し行動が大人に向けられないと、力学的関係性を使い、逆らえない、逆らわない人間に試し行動を始めてしまう。心が満たされないから、何度も何度も、死ぬまでやるのだ。そして相手が死んでも、まるで自分が被害に遭ったかのように思う。本能の行動だから、説得や禁止の効果が効きにくい。 

 

 

 

 

 

 いじめが発生しない条件というのがあり、例えば大学ではほとんど発生しない。単位ごとに講義に集合する人間が異なるからだろう。人間関係の制限が低い。サークルや体育会などは参加するのも自由だし、退会するのも自由だろう。だから私は中学生当時、早く大学生になりたいと思ったものである。

 いじめの原因をあれこれ考えると、ひょっとするといじめは試し行動と関係があるかもしれないと思ってしまう。「定期的な運動」では指導者の助手をして、小学生を相手にすることがある。低学年だと試し行動が発生することがある。指導にわざと従わなかったり、遊んだりしてしまう。発達障害児だとこれが大きくなるようで、ほとんど進歩がない。冷静で我慢強い大人が試し行動に遭う。小学生も相手を選んでいる。

 大人に試し行動があるかというと、試し行動があるようだ。相手も場面もよく選んでいる。傍からみて何だか幼稚だな、見苦しいなと思ってしまう。観察してみると、冷静で我慢強い人物、逆らえない関係性などを利用する。背景には人間不信があり、よくよく調べてみると、裏切られたというショックな出来事があるようだ。もっとも誰にでも試し行動をすると、嫌な奴、変な奴ということで相手にされなくなってしまう。だから経営者から従業員へ、先輩から後輩へというような関係性を利用するようである。

 表面的には虐待の連鎖ということで片付けられる。しかし本質を見ると、何か裏切られた経験があり、人間不信になってしまった。そこで試し行動がしたい、自分が嫌なことをして相手の愛情や人間性を試したいという言動をする。しかし誰にでもやっていると、社会性が失われるから、力学的関係で許容される条件で試し行動をするのである。

 小学生の試し行動はしつこい。だから私は「定期的な運動」の前に相撲を取ることにした。何とも単純なことで、こんなことはつまらないだろうと思うのだが、何度も相撲を取ることでいくらか満足するようである。男親など、毎日相撲を取ってやればいいのにと思ってしまう。身体が触れる遊びを通じて、信頼関係が醸成され、試し行動が少なくなってくるのだろう。

 

 

 

 
 

 

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日商簿記2級の学習 [仕事を考える]

 週末、日商簿記2級のコースを受けると、受講生が私を含め2人だった。当初3人であり、通ったり通わなくなったりしているらしい。簿記3級のコースは当初4人で、最後は私1人になってしまった。恐らく私以外は合格しなかっただろう。

 少人数なのでほとんどマンツーマンである。質問がどんどんできて、私自身にとっては良い機会になっている。講師の授業は要領が良く、分かりやすい。もったいないと思ってしまった。もっとも簿記2級コースは平日型もあるから、必ずしも2人が全部ではないだろう。

 この資格予備校には税理士や公認会計士の受験生は大勢通学しているようだ。私は彼らが簿記1~2級は取得しているものと考えていたが、ひょっとすると簿記1~2級については勉強しないのかもしれないと思ってしまった。

 大型資格のため勉強している者が下位の資格を持っているとは限らない。基礎を飛ばして勉強すると、行き詰ってしまうのが一般的である。

 人間はどうやら近道をしたい動物で、基礎から積み上げるということをしたがらない。しかし実は基礎から積み上げるのがいちばんの近道である。
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