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マスキング [社会を考える]

不快感を与える職場の中高年女性
 職場では中高年女性の哄笑爆笑の私語が続き、内勤者として不快である。彼女らは顧客への文句、社員の噂話、私生活などを題材にして、ずっとしゃべっている。ずっとしゃべっているので、業務ミスやクレームも連続的に発生していて滑稽でもある。

 不愉快をそのままにせず、冷静に分析してみると、私語がうるさいでなく、見苦しいということもある。彼女らの行動や外見を気持ち悪いと思っている。

 彼女らの健康面から分析してみると、4人のうち全員が程度の差があるが肥満者である。3人は腰などが故障しているようだ。それなのに廊下を走る児童のように職場内をバタバタ、バタバタと走り、しかもサンダル履きである。足腰が弱っているのでときどきつまづく。1人は毎夕飲むアルコール依存症者のようで、顔が浅黒く眉間が険しく、不潔な感じがする。いわば全員が外見からして医師でなくても明確に不健康であることが分かる。

 行動面から分析してみると、4人とも整理整頓ができないらしく、机上が整理されておらず、1人はもうごみ屋敷のようになっている。肥満していることを気にしているらしく、痩せてみえと信じている黒色系の衣服を着てきたり、若作りの衣服を身に着けるようだ。もちろんこうしたファッションは場にふさわしくなく、また似合ってもおらず、むしろ見苦しい。

 そもそも哄笑爆笑で下品さを大アッピールしているのだから、彼らの美醜を問うところまで行かない。美醜がどうあれ、さらに何を着ていても愚か者、馬鹿者とみなされるだろう。

マスキングの効果
 彼女らがこうした愚かな状態になっているのは、はっきりと経営を打ち出せない条件下で、もともとあまり質が高くない人材からなる集団であるからだろう。品がなく健康度が低いと、嫌悪感を抱かれても仕方がないことであろう。私の感覚は正常だろう。

 なお机ごとにパーティションがあるのに中高年女性の顔が見えるのはどうしてかと考えた。愚か者の顔を見たくないのである。彼女らはいずれも背丈があまり高くないが、中にはなぜか椅子を高くして座っていた。床面に足を着けずに座っているらしい。頭から上がパーティションより上に見えるのである。

 どうしたらいいかしばらく考えた。自分の机のパーティションの上に厚紙で継ぎ足して高くしてマスキングすることにした。

 小学生のころ、男子がいると集まった女子たちが意識的にか無意識的にか騒ぐということがあった。幼稚なのだが、こうした中高年女性は愚かなので当てはまらないとは言えない。観察者が行動者に影響を与えているのかもしれない。

 マスキングすると、私語は何となく収まったが、マスキングの効果かどうか経過観察する必要があるだろう。

 このような下らないことをあれこれ考えるのは、パワハラを受けて1日中内勤になっているからだろう。こんなばかばかしいことにつきあうのは残念である。
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消費税と経済成長 [社会を考える]

 失われた20年の原因は消費税という説があり、もっともと納得してしまった。日本やEUが経済成長してこなかったのは消費税が原因らしい。経済成長しないのだから、投資が控えられ、雇用が低下し、人口減少する。アメリカには物品税があるが、消費税はない。

 消費税というのは株式会社など事業者に対して、売上に応じて賦課する税金であり、仕入で支払った税金は免除される。営業利益や経常利益など利益に応じて賦課する税金ではない。ましてや消費者に課する税金でもない。本質は売上税である。トランザクション税と言ってもいいかもしれない。事業者の販売や仕入にいちいち税金を賦課するのだから。

 顧客に価値を与えて売上を得、営業利益を得るのが事業活動である。税金が営業利益に対して賦課するならわかるが、売上の段階で税金を課するのだから、まるで経済活動に対する罰金である。経済活動をしないほうが税金を免れるのである。

 このようなおかしな税金を導入し、税率を上げることによって、消費は低迷し、経済成長を抑制してきた。消費税の徴収総額は上昇している一方、所得税や法人税の徴収総額は下降している。

 また輸出大企業は消費税還付を得ている。実質輸出補助金である。大企業の株主配当も増加しているから、日本では消費税によって日本の未来を差し出し、外国人投資家に金銭を与えている。

 消費税は亡国の制度である。ナショナリズムを標榜する自民党や財界こそ消費税に反対すべきだ。い。実際、シャウプ勧告で敗戦後日本に消費税が導入されそうになったとき、財界の反対で見送られた歴史があるらしい。高度経済成長が実現したのは当時の財界の慧眼のためである。
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私語発生のメカニズム [仕事を考える]

 4人の中高年女性が発生させる私語が職場環境を悪化させていることは以前にも記した。

中高年女性たちが集団で私語を発生させるというのはよくあることらしい。ウェブでこうした私語の問題を検索すると次のような発生メカニズムがあるらしいということが分かった。

 会社にいるような、平均的な人材である中高年女性は自信がなく、代わりに強い承認欲求があるらしい。存在をアピールして注目を集め、承認欲求を満たそうとするらしい。注目や人気がほしいのである。存在をアピールする手段として大声の私語、哄笑爆笑、小走り、不必要な動作音などがある。

 もっとも承認欲求は職場で満たす必要はなく、職場外で満たしてもいいようなものである。家族親族、友人知人、趣味・スポーツ・ボランティアの集団内などである。しかし自信のない中高年女性たちは職場外活動がほとんどなく(いわゆるリア充でない)、家族親族内での評価も高くなく、人間関係も豊かでないので、同僚が必ずいる職場を承認欲求を満たす場として選んでいる。

 大声の私語、哄笑爆笑、小走り、不必要な動作音などは同僚に嫌悪感を抱かれて逆効果なのにもかかわらず、自信のない彼女らは不合理な行動をストップできない。承認が得られないからさらに声や音が大きくなるのかもしれない。それほどに承認欲求が強く、それほどに自信がなく、それほどにも職場外での人間関係が乏しいのである。憐れと言えるが、承認欲求が強すぎると、嫌悪感すらも得たいと思うものらしい。

 考えてみると、彼女らにとって承認者というのは選択的でないのかもしれない。つまり近くにいる誰からでもいいから注目を集めたいということなのかもしれない。

 物理的に見ると、私は彼女らにとっていちばん近い席にいる者であるから、ひょっとしたら私に承認されたいのかもしれない。だとするとマスキングすることで私の姿を彼女らから見えなくすると、承認すべき者の姿が見えなくなるので、アピール行動が低下するかもしれない。

 そういうふうに考えていたら、マスキングして初日のきょう、私語の程度が大幅に低下した。静かな時間がかなり長かった。

 もっともMBA的にはこうした平均的な人材も経営に参画させ、提案させ、自覚させることが組織活性化の道であろう。しかし私はパワハラに遭っていて、何とか防戦しているがそれだけで会社では精一杯であり、組織改革をすることはできない。職場外では学習や活動でひどく多忙である。MBAはそうした活動で修了したのである。

 私のとってもマスキングによって見苦しいものを目にしなくて良かった。視覚の影響は聴覚の影響より大きいようだ。
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職場の私語抑制に成功 [仕事を考える]

爆笑発生のメカニズム
 職場の中高年女性たちの私語を抑制することに成功した。1/4ほどになった。

 問題の中高年女性たちは人の注目や関心を集めることはない魅力の乏しい人たちである。そうした人たちは強い承認欲求が生じることがあるらしい。マズローの自己実現論のうち、自己実現欲求どころか承認欲求すら満たされないのである。

 そこで内面を推測するに、彼女らは職場に注目や関心を求めることにしたようだ。職場では自分たち以外の同僚が必ずいるからである。

 業務で実績を上げると職場で注目や関心を集めることができるだろう。しかし評価が機能しておらず彼女らも努力がない。そこでただ口を動かせばいいという安易さで、注目や関心を集めることにした。業務中の哄笑爆笑である。職場で男笑いすれば確かに注目や関心を集めるだろう。集団的お下品作戦である。

 業務懈怠が大いに許容される職場環境、承認欲求が強い人たちが集団でいること、彼女らがもともと上品でないこともこうした作戦の成立を許している要素である。しかし問題の本質ではない。本質は彼女らが決して注目や関心を集められず、強い承認欲求を持っていて、承認欲求を満たそうとする場所として職場を集団的に選んでいるということである。

 業務中、哄笑爆笑が発生すると、4,5m離れた席にいる私がパーティション越しに視線を送ってしまうことがある。私としてはやかましい、止めてくれ、愚か者たちめという非難の視線である。しかし彼女たちは職場外の場所で、注目や関心の視線を日ごろ集めることは一切ないのである。とりわけ男性の視線は。

 だから嬉しくなってしまう。ますます注目や関心を集めようと、さらに大声で哄笑爆笑し、自らのプライバシーを発表し、音を立てて菓子を食い、ドタバタと小走りし、似合わない若作りの格好をしてくるのである。もっともっと、非難の視線がほしいというわけである。病的である。

 私は4月から私語の騒音に悩んでいたが、1回も批判しなかったのは良かったことである。批判すると、大きな関心(しかし負の関心なのだが)を与えることになっただろう。

理解困難な動機
 彼女らが嬉しくなってしまうという心理が私にとって理解困難である。非難の視線が嬉しいのだろうか。私なら肩身が狭くなってしまう。

 しかし考えてみよう。彼女らは一様に、注目や関心の場を職場に求めるほかないほど、それほどにも精神的に貧しい生活を送っているのである。

 彼女らは職場外で例えば良き家庭人だったり、ボランティア活動のリーダーだったり、スポーツ選手だったりすると、注目や関心はそうした職場外の活動で得られるだろう。だから職場で注目や関心を集めようと試みることはない。精神的に健全なのである。

 しかし現実は職場外では彼女らは不活発らしい。彼女らの話題にはローンを組んだ、外食した、晩酌しているなど、受動的活動が話題になる。ボランティアした、心身を鍛えた、子どもを教育した、ビジネストレーニングを受けたなどという能動的活動の話題がない。人を支援したり、人格や能力を向上させる話は一切ない。

 だから彼女らは平均より不活発だろう。職場外の生活を伺い知ることはできないものの、注目や関心を集めることはない、むしろ人から無視される生活を送っているのだろう。

 もっともこうした中高年女性が孤立していれ業務中盛んに話しかけてくる迷惑な要員としてみなされるだろう。しかし精神的に不健全な中高年女性が複数、同じ所に集められた。この春、組織再編して集められたから、病的な人たちと分かって1か所に集められたのかもしれない。

 こうして考察すると、私の非難の視線が原因かもしれないと考え、私は自分の机のパーティションにさらにマスキングすることで視線を一切送らないことにした。彼女らからすると私の視線はゼロになる。するとそうすると顕著に私語の声量、時間が減ったのである。

 私の視線がないので、今度は私以外の注目や関心を求め、うろつき行動が増えた。彼女らは離席して離れた社員の所やドアを隔てた給湯室で哄笑爆笑するようになった。飢えているのである。わざわざ足を運んで、立ったままやらざるを得ないので身体的につらいのか(彼女らのうち全員が加齢、疾病、肥満などで足腰に故障があるようだ)、時間も大幅に短縮される。さすがに4人がぞろぞろと集団で、他の社員の席まで行きたいのだろうがそうすることはできない。自席で誰かは電話や来客を受けなければならないからだろう。だから人数の面でも、哄笑爆笑の量が減っていて、私の席から距離が大幅に離れるか、ドア越しということになった。

 費用数100円のマスキングでこれほど効果があるとは思わなかった。

システム化でゼロ対応
 人間を含む動物は「見られる」ことを意識するものだ。注目や関心を集めることは重要なことである。着飾ったり、とりわけ女性は着飾ったり、化粧したり、上品な物腰で、関心や注目を集めようとするだろう。能力あればそうした能力を発揮することで、同様のことをしようとするだろう。サラリーマンが職場で非経済的動機として、そうした注目や関心を集めようとすると、不合理な行動になるだろう。

 例として、営業マンが顧客の元に行って顧客ニーズを把握するのではなく自分のことばかりしゃべるとことが挙げられるらしい。営業せずに自分のことばかり話し、機会損失する「熱意ある」営業マンというのは大勢いるらしい。会社の費用を使って顧客の元へいき、貴重な顧客の時間をもらっているのに営業マン個人の話をするという驚くべきことだ。それほどまでに人間の承認欲求というのは強いらしい。顧客も経営者も大迷惑だろう。本当は顧客が主人公であり、営業マンは黒子なのは言うまでもないことだ。

 職場ではやはり病的心理を満たそうとするのではなく、経済的合理性を発揮すべきであろう。

 一方、日ごろから目立つことが一切ないような人たち、いわばどんな場面でも決して人生のステージに上がれないような人たちは評価や愛情の視線を得られないので、非難や批判の注目や関心すら嬉しいと思ってしまう。マイナスの注目や関心が嬉しいのである。

 彼女らの哄笑爆笑は低下した。不活発になった。恐らく彼女らはもともとの性質として、平均より不活発なのではないだろうか。不活発だからこそ職場以外に注目や関心を集める場がないのである。そして職場ですら視線を集められないのなら、自然体が出てくるのである。それは日ごろの不活発な姿ということだ。

 私はここで教訓を得た。愚か者たちは徹底的に無視すべきで、非難の視線すら恵んでやってはならない。ゼロで対応するのだ。いわば賢者の義務であろう。視線すら恵んでやらない。さらにそうしたことをシステム化する必要があるのだ。

 人間の言動には必ず理由があるものだ。愚か者でない者にとって、愚か者、とりわけ愚か者の集団の小心さ、ずるさ、手段、品性などが理解困難なことがある。彼らは病的であり、健全な者にとって思ってもみないことだからだ。

 しかし家畜のグループだと思って、行動の理由や環境を考えてみると、メカニズムが分かり、自分にとって不合理な言動をレバレッジを効かせて抑制できるようである。

 迷惑な言動に言動を頭ごなしに非難して変えさせそうとせず、言動の背景にある動機、欲求を解析し、そうした動機、欲求に応じて解決の手段を図るのが有効である。迷惑な言動には不合理な動機や欲求があり、そうした不合理な動機や欲求は程度が低過ぎて、合理主義者には推測困難なことがある。しかしヒントがあるものだ。

 今回の例では彼女らの私語の内容を耳にすると、不健全、気持ち悪い、知りたくないという印象を抱いてしまったが、実はそれが彼女らの本質である。職場外でそうした話を聞く者がいるだろうか。そうした人たちを相手にするだろうか。

 だからこそ彼女らは大声でプライバシーを図太い声で発信し、職場という聞き手が身動きできないところで自己主張するわけである。だめな自分なのに虫がよく関心や注目がほしいのである。

 虫が良い欲求は大人であれば抱かないであろう。彼女らは大人でなく幼児性が強い。小児病的心理と言い換えてもいいかもしれない。
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私語激減 [仕事を考える]

 私は背丈があるので着席すると、机のパーティション越しに職場を見渡すことができる。

 中高年女性たちが私語を始めると、パーティション越しに発生源に目を向けてしまう。うるさいな、静かにしてくれ、愚か者たちめという非難を込めているのだが、なるべく感情を出さなかった。

 彼女らは職場外では注目や関心を得られることがほとんどないらしく、私の視線が嬉しくなって私語を継続したり、男言葉や下品な表現を使ったり、哄笑爆笑したり、ドタバタと小走りしたり、若作りの格好してしまうようだ。

 こうしたメカニズムを壊すため、私はパーティションに試みにマスキングを施し、自分の視線を与えないようにした。彼女からすると、私の視線はゼロとなる。すると私語の継続時間、声量や、小走りなどが顕著に減少した。彼女らは職場外では不活発であり、職場内でも不活発な自然体に戻ったのである。

 この数カ月の間、自分の視線が彼女らの私語、哄笑爆笑のメカニズムを助長していたかと思うと残念である。

 彼女らは4人とも全員、努力をしているわけでもなく、能力が高いわけでなく、実績を上げているわけでもなく、資格があるわけでもなく、教養が高いわけでもなく、女性として美貌でもなく、若いわけでもない人たちである。こうした人たちは職場外では不活発で自信がなく、注目や関心を得られることはほとんどないらしい。

 注目や関心を得る場としては家庭、友人知人、趣味、研究、ボランティア、スポーツなど幾らでもあるばずである。彼女らが注目や関心を得ようとする場として、職場を選んだのは職場では必ず人間がいるからであろう。彼女らは職場外ではほとんど無視されるような人間であり、それが4人と集団となったのである。その証拠に同じフロアには他の女性たちがいて、私語もするのだがそれも小規模で迷惑なほどではないのである。
 
 会社は部課を減らし総務に統合させた。だめな中高年女性たちを総務部に集めたのだろう。私語が放置されているのはそのためであろう。

 人間というのは虫のいいことを考えがちである。努力せずに成果が得られないか。棚からぼた餅がないか、リスクを取らず機会を得られないか、投資せずリターンを得られないか。人生は棚からぼた餅的なこともある。しかし努力が原因でかえって失敗することもある。

 注目や関心を得ようと思わず、実質や実利を取るという生き方もある。経済的利益や安全を重視したやり方である。優れた経営者は脚光を浴びることを敢えて避け、どんどん実績を上げていく。マスコミの取材や受賞の話が持ち掛けられると固辞してしまう。そうして引退時や後継者決定時、ようやく登場する。まことに賢いやり方で、参考になるだろう。どうやら注目や関心と、実質や実利というのはトレードオフの関係らしい。
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