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職場の私語抑制に成功 [仕事を考える]

爆笑発生のメカニズム
 職場の中高年女性たちの私語を抑制することに成功した。1/4ほどになった。

 問題の中高年女性たちは人の注目や関心を集めることはない魅力の乏しい人たちである。そうした人たちは強い承認欲求が生じることがあるらしい。マズローの自己実現論のうち、自己実現欲求どころか承認欲求すら満たされないのである。

 そこで内面を推測するに、彼女らは職場に注目や関心を求めることにしたようだ。職場では自分たち以外の同僚が必ずいるからである。

 業務で実績を上げると職場で注目や関心を集めることができるだろう。しかし評価が機能しておらず彼女らも努力がない。そこでただ口を動かせばいいという安易さで、注目や関心を集めることにした。業務中の哄笑爆笑である。職場で男笑いすれば確かに注目や関心を集めるだろう。集団的お下品作戦である。

 業務懈怠が大いに許容される職場環境、承認欲求が強い人たちが集団でいること、彼女らがもともと上品でないこともこうした作戦の成立を許している要素である。しかし問題の本質ではない。本質は彼女らが決して注目や関心を集められず、強い承認欲求を持っていて、承認欲求を満たそうとする場所として職場を集団的に選んでいるということである。

 業務中、哄笑爆笑が発生すると、4,5m離れた席にいる私がパーティション越しに視線を送ってしまうことがある。私としてはやかましい、止めてくれ、愚か者たちめという非難の視線である。しかし彼女たちは職場外の場所で、注目や関心の視線を日ごろ集めることは一切ないのである。とりわけ男性の視線は。

 だから嬉しくなってしまう。ますます注目や関心を集めようと、さらに大声で哄笑爆笑し、自らのプライバシーを発表し、音を立てて菓子を食い、ドタバタと小走りし、似合わない若作りの格好をしてくるのである。もっともっと、非難の視線がほしいというわけである。病的である。

 私は4月から私語の騒音に悩んでいたが、1回も批判しなかったのは良かったことである。批判すると、大きな関心(しかし負の関心なのだが)を与えることになっただろう。

理解困難な動機
 彼女らが嬉しくなってしまうという心理が私にとって理解困難である。非難の視線が嬉しいのだろうか。私なら肩身が狭くなってしまう。

 しかし考えてみよう。彼女らは一様に、注目や関心の場を職場に求めるほかないほど、それほどにも精神的に貧しい生活を送っているのである。

 彼女らは職場外で例えば良き家庭人だったり、ボランティア活動のリーダーだったり、スポーツ選手だったりすると、注目や関心はそうした職場外の活動で得られるだろう。だから職場で注目や関心を集めようと試みることはない。精神的に健全なのである。

 しかし現実は職場外では彼女らは不活発らしい。彼女らの話題にはローンを組んだ、外食した、晩酌しているなど、受動的活動が話題になる。ボランティアした、心身を鍛えた、子どもを教育した、ビジネストレーニングを受けたなどという能動的活動の話題がない。人を支援したり、人格や能力を向上させる話は一切ない。

 だから彼女らは平均より不活発だろう。職場外の生活を伺い知ることはできないものの、注目や関心を集めることはない、むしろ人から無視される生活を送っているのだろう。

 もっともこうした中高年女性が孤立していれ業務中盛んに話しかけてくる迷惑な要員としてみなされるだろう。しかし精神的に不健全な中高年女性が複数、同じ所に集められた。この春、組織再編して集められたから、病的な人たちと分かって1か所に集められたのかもしれない。

 こうして考察すると、私の非難の視線が原因かもしれないと考え、私は自分の机のパーティションにさらにマスキングすることで視線を一切送らないことにした。彼女らからすると私の視線はゼロになる。するとそうすると顕著に私語の声量、時間が減ったのである。

 私の視線がないので、今度は私以外の注目や関心を求め、うろつき行動が増えた。彼女らは離席して離れた社員の所やドアを隔てた給湯室で哄笑爆笑するようになった。飢えているのである。わざわざ足を運んで、立ったままやらざるを得ないので身体的につらいのか(彼女らのうち全員が加齢、疾病、肥満などで足腰に故障があるようだ)、時間も大幅に短縮される。さすがに4人がぞろぞろと集団で、他の社員の席まで行きたいのだろうがそうすることはできない。自席で誰かは電話や来客を受けなければならないからだろう。だから人数の面でも、哄笑爆笑の量が減っていて、私の席から距離が大幅に離れるか、ドア越しということになった。

 費用数100円のマスキングでこれほど効果があるとは思わなかった。

システム化でゼロ対応
 人間を含む動物は「見られる」ことを意識するものだ。注目や関心を集めることは重要なことである。着飾ったり、とりわけ女性は着飾ったり、化粧したり、上品な物腰で、関心や注目を集めようとするだろう。能力あればそうした能力を発揮することで、同様のことをしようとするだろう。サラリーマンが職場で非経済的動機として、そうした注目や関心を集めようとすると、不合理な行動になるだろう。

 例として、営業マンが顧客の元に行って顧客ニーズを把握するのではなく自分のことばかりしゃべるとことが挙げられるらしい。営業せずに自分のことばかり話し、機会損失する「熱意ある」営業マンというのは大勢いるらしい。会社の費用を使って顧客の元へいき、貴重な顧客の時間をもらっているのに営業マン個人の話をするという驚くべきことだ。それほどまでに人間の承認欲求というのは強いらしい。顧客も経営者も大迷惑だろう。本当は顧客が主人公であり、営業マンは黒子なのは言うまでもないことだ。

 職場ではやはり病的心理を満たそうとするのではなく、経済的合理性を発揮すべきであろう。

 一方、日ごろから目立つことが一切ないような人たち、いわばどんな場面でも決して人生のステージに上がれないような人たちは評価や愛情の視線を得られないので、非難や批判の注目や関心すら嬉しいと思ってしまう。マイナスの注目や関心が嬉しいのである。

 彼女らの哄笑爆笑は低下した。不活発になった。恐らく彼女らはもともとの性質として、平均より不活発なのではないだろうか。不活発だからこそ職場以外に注目や関心を集める場がないのである。そして職場ですら視線を集められないのなら、自然体が出てくるのである。それは日ごろの不活発な姿ということだ。

 私はここで教訓を得た。愚か者たちは徹底的に無視すべきで、非難の視線すら恵んでやってはならない。ゼロで対応するのだ。いわば賢者の義務であろう。視線すら恵んでやらない。さらにそうしたことをシステム化する必要があるのだ。

 人間の言動には必ず理由があるものだ。愚か者でない者にとって、愚か者、とりわけ愚か者の集団の小心さ、ずるさ、手段、品性などが理解困難なことがある。彼らは病的であり、健全な者にとって思ってもみないことだからだ。

 しかし家畜のグループだと思って、行動の理由や環境を考えてみると、メカニズムが分かり、自分にとって不合理な言動をレバレッジを効かせて抑制できるようである。

 迷惑な言動に言動を頭ごなしに非難して変えさせそうとせず、言動の背景にある動機、欲求を解析し、そうした動機、欲求に応じて解決の手段を図るのが有効である。迷惑な言動には不合理な動機や欲求があり、そうした不合理な動機や欲求は程度が低過ぎて、合理主義者には推測困難なことがある。しかしヒントがあるものだ。

 今回の例では彼女らの私語の内容を耳にすると、不健全、気持ち悪い、知りたくないという印象を抱いてしまったが、実はそれが彼女らの本質である。職場外でそうした話を聞く者がいるだろうか。そうした人たちを相手にするだろうか。

 だからこそ彼女らは大声でプライバシーを図太い声で発信し、職場という聞き手が身動きできないところで自己主張するわけである。だめな自分なのに虫がよく関心や注目がほしいのである。

 虫が良い欲求は大人であれば抱かないであろう。彼女らは大人でなく幼児性が強い。小児病的心理と言い換えてもいいかもしれない。
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